演繹法と帰納法の視点から考える 01
こんにちは、技術士(経営工学)の、みーちゃんぱぱです。
本日は、改善に必要な2つの視点を解説します。
ある大学教授が言っていました。
「価値とムダを徹底追及するのが、経営工学の真髄である」
演繹法と帰納法の視点
そんなに難しくありません。簡単に解説してみます。
1.演繹法
演繹法は「Aである」という前提から、「Bである」という結論を導く方法です。
「Aである」は誰がどう見てもそうであるという前提であり、
「Bである」はそこから自ずと導かれる結論になります。
例えば、
「Aである」→子供を産むことができるのは女性だけだ。(前提1)
「Aである」→私は男性である。(前提2)
「Bである」→私は子供を産むことができない。
私の好きな例、
「Aである」→人間はおならをする。
「Bである」→アイドルもおならをする。
どうでしょうか。これが演繹法です。
「Aである」が正しければ、「Bである」は絶対に正しくなります。
もちろん、「Aである」が間違っている場合、「Bである」は間違いだということになります。
もう一つ、
「Aである」→俺のものは俺のもの。(前提1)
「Aである」→お前は俺の家来。(前提2)
「Bである」→お前のものは俺のもの。
ジャイアンの論理ですね。論理的には正しいのですが、倫理的に前提2が違います。
理屈だけでは上手くいきません。
2.帰納法
帰納法は、経験からの推論です。
いくつかの結果から、結論を導くものです。
「リンゴは落ちる」、「本が落ちる」、「ペンも落ちる」、という結果がありました。
ここから導かれる結果は、「地球には引力がある」です。
演繹法では、前提が正しければ結果は必ず正しいものになりましたが、
帰納法では、結果は必ずしも正しいわけではありません。
そのようになる可能性が高いということになります。
私の好きな例で、
「ジャイアンに一昨日、殴られた」
「ジャイアンに昨日も、殴られた」
「ジャイアンに今日も、殴られる!助けて~ドラえも~ん!」(結論)
はい、殴られる確率はかなり高そうですが、今日は機嫌がよいかもしれませんので、
結論は間違っている可能性もあるわけです。
このように「結果は必ずしも正しいわけではない」ということになります。
だからといって帰納法が全く役に立たないものと考えるのは間違いです。
経験に基づく「経験則」は帰納法であり、
例えば、ペストが蔓延した昔のヨーロッパでは、
今のように医療技術も科学も未熟だったので病の原因は解明できませんでした。
でも、経験的にどうも死んだ人やネズミが危ないということがわかってきて、
それらを遠ざけました。
本当の原因がわからなくても、現状に対応することができるのです。
以上、長くなってしまいましたが、演繹法と帰納法について分かったかと思います。
では、これがどのように改善に活用できるのかは、明日以降のお楽しみに。